日記

『ろくでなしブルース』や『柔道部物語』名作漫画を真似た中学校に通った話。

小学校4年生の3学期に市から郡へ引っ越した。引っ越し先は男子も女子もジャージで登校している児童が多く、男子の坊主率が半端なかった。

まぁ私も郷に入っては郷に従えということで、すぐにジャージ生活になり、動きやすい事から毎日ジャージで過ごしていました。

中学に上がると所謂ヤンキーがヤンキーの服装をしていて伝統的な上下関係のルールもありました。

名作漫画のエッセンスを取り入れた中学校に通った思い出をご紹介します。

 

 

伝統的なルール

①3年生の教室の前
3年生の教室の前の廊下は通ってはならないというルールがありました。殿の前を横切るな的なことなのか理由は分からないがそういうルールがあったのです。当時は3年生の教室の横に職員室があったので、職員室に用事があるときは不便でしょうがなかった。一度、ショートカットして通った奴は後日ぶっ飛ばされていました。

 

②髪型

1年生は坊主、2年生は伸ばしてよい、3年生は何でもありというクローズの鳳仙学園みたいなルールがありました。私は坊主が嫌だったのでスポーツ刈りにして前髪を限界まで切って坊主と言い張ることで乗り切りました。

中学1年生になって2日後か3日後くらいに1年生の教室に先輩が来て、全員並ばされました。髪型のチェックでした。1名だけ思いきり坊主にしていない生徒がおりシメられていました。

 

 

柔道部物語

小学校時代に道場に通って柔道を習っていた関係で父親が漫画「柔道部物語」を買ってきてくれて読んでいました。

ざっくりストーリーを説明すると中学時代は吹奏楽で格闘技と無縁だったヒョロヒョロの主人公が強引だけど優しい柔道部の勧誘で入部します。しかし優しかったのは入部届を書くまでで、以降は鬼と化します。周囲の反対を押し切って入部した手前、あとには引けない主人公は必死にくらいついて頑張って成長していきます。一生懸命練習をする中で、背負い投げという必殺技を身に着けて、人を投げる感覚と周囲から褒められる快感を覚えて、どんどん柔道にのめり込んでいきます。そして周囲が驚くほど活躍し始めるが・・・。という内容です。

 

これだけ聴くとなんら問題ないのです、1巻の最初のほうで伝統的に2年生が1年生をしごく風習が描かれています。

それは「セッキョー」というもので、伝統的な挨拶(ザス、サイ、サ)と叫びながら、うさぎ跳びや空気イスをしながら大声で歌を歌うというシゴキです。そして微妙にアレンジを加えてこれを私が通う中学の先輩達が真似していたのです。

これはたまらなかったな・・・。

 

 

販売

3年生と関わることは殆どありませんでした。あるとしても2年生を介しての関わりでした。2年生は定期的に商品リストというものを1年生に回覧し、1年生は何かしらを買わなければなりませんでした。

商品のラインナップはお下がりのボンタンや短ラン、壊れたウォークマン、聴いたこともないタイトルの漫画などで、どれもいらないものばかりでした。私は「あばれ花組」という漫画とボンタンを買いましたが、漫画は途中が飛び飛びで一応最終巻まである状態で2,000円、ボンタンは3,000円くらいだったと思います。意外に良心的な値段でした。

ある日、クラスメイトがずっと欲しがっていたウォークマンを買いました。ウォークマンといえばだいたい1万5千~2万5千くらいでしたが、5千で売られていたのです。クラスメイトは喜んで買っていました。商品が届く前からドヤ顔でクラスメイトに「掘り出し物だった、俺は見る目がある、こういうのは素早い判断が大事」などと言って調子に乗りまくっていました。

いざ商品が届いたらコンビニで1,800円くらいで当時売っていた遊歩人という安価なウォークマンだった上に、イヤホンはなく、壊れていました。周りは大爆笑でしたが、クラスメイトは調子に乗っていた手前、声に出して騒ぐこともできず、ちょっと泣いていました。

そしてこのシステムの凄い所はこのあとでした。1か月も経たない内に「あばれ花組貸してくんない?」などと売った商品を巻き上げに来るのです。そして何事もなかったかのように、また商品リストに載ってくるという無限ループだからとんでもない。

ただお金を巻き上げるのではく、一応売るという体裁をとるところは万一を考えていたのだろうと思います。

私は3回目でイラっとして「さーせん。売っちゃいました」と反抗したが意外とすんなり「まじかよ、しょうがねぇな」だけで終わりました。なお遊歩人はその後ずっと売れ残っていました。

 

 

ろくでなしヘア

ドラマや映画にもなった『ROOKIES』を描かれていた森田まさのりさんの作品に『ろくでなしブルース』という不良漫画があります。主人公はボクサーになりたいと思っていて、頭はよくないけど自分から喧嘩を売ったり目立とうとはせず、人望が男前です。

しかし友達のピンチを助けたり、絡んでくるものを払っている内に東京の四天王と呼ばれるようになっていました。そして四天王と順番に揉めていくのですが、ここで話したいのは四天王の髪型です。新たな四天王が登場する度に多くの先輩が漫画と同じ髪型で登校してきたのです。私の地元では当時、火曜日にジャンプが出ていましたは、水曜日には新しい髪型で登校していました。

最初は鬼塚の金髪リーゼント

 

次に薬師寺のトサカ強調リーゼント

 

最後に葛西のツーブロックリーゼント

 

聴いたところによるとジャンプの切り抜きを床屋に持って行ってカットとセットをしてもらっていたらしいです。そのクォリティは非常に高く、すぐに「あ、〇〇の髪型だ」と分かるほどでした。

 

 

さらばジャージ

これは本当に不幸としか言えない出来事でした。中学1年生の頃の話で、3年生が部活を引退していて、秋冬のジャージを着ていたので恐らく秋頃の話だと思います。

私はバスケットボール部で練習をしていたのですが、野球部の2年生に呼ばれました。私の上の代はとにかく野球部にヤンチャな人が集まっていたので嫌な予感しかなかったのを覚えています。

なぜかコソコソしている野球部の先輩に手招きで体育館の脇に呼ばれて、近づいていくと、「部活中にわりぃ。実は今、ヤバい先輩が来てんだけど、俺らの部室にまだ居るか見てきてくんない?」と言われました。私はなんだ。そんなことかと油断して「了解っす」と軽く引き受けてしまいました。

そして何の恐れも抱かないまま野球部の部室を空けたのです。

そして目に入った光景はカオスでした。

タバコで真っ白の部屋、絵にかいたようなド・リーゼント(1人は私達の中学の卒業生、2人はその人が高校で知り合った友人)とパンチパーマの高校生がいたのです。私は「あっ。間違えました~」と言ってドアを閉めて去ろうとしたが、そんなカッコウのオモチャをその手の人たちが易々と逃がすわけがありません。

ドアが開いて「おーい!入れや!」と手招きされてしまいました。私はこれ以上ないくらい嫌な気持ちになりつつ、私に部室を見せにいかせた先輩のことを恨みながら部室に入りました。

なおこの高校生が通う高校は県内有数のヤンチャ高校であった。更にいうと私が高校3年から通うことになる学校でした。(そのあたりの話は別途)

部室は8畳くらいの部屋でソファがあったのですが、高校生の3人がソファに座っていた。その他は私を含めて3名いました。1人は私と同級生の野球部員が正座で歌を歌わされていた。もう1人は2年の野球部の先輩だったが、この先輩は口いっぱいのタバコ(40本くらい)を一気に吸わされていた。部屋が真っ白だったのはそれが理由でした。(なお私は非喫煙者で、この時も吸っていない)

そしてもう一人は超とばっちりの私である。私は何か面白いことをやれと言われました特に何もできず苦笑いをするしかありませんでした。テンションが上がっている高校生は、なぜかあったキンチョールとライターを使って火炎放射にして私達に炎を放ってきました。

私達は必死に逃げましたが、8畳しかない部室なので逃げられるわけがありません。高校生はゲラゲラ笑いながら私のお尻めがけて炎を発射してきました。私は「あっつーーー」と言いながらジャンプで天井に届くらい飛び跳ねましたが、ジャージのお尻の部分が丸々焼けてしまいました。野球部の先輩は前髪が焦げていました。

その後も高校生は大爆笑で何がそんなに面白いのかゲラゲラ、ウヒャウヒャ笑いながらテンションが高かったのですが、ジャージが焼かれると体育の授業や部活に支障が出ます。そのことを危惧した、うちの卒業生である高校生に「チクんなよ」と釘をさされ解放されました。

解放された私はうなだれて体育館に戻り、お尻が丸見えなのでその日は帰らせてもらいました。後日、私に部室を見て来いと言った先輩も事情をきいて流石に不憫と思ったのか「悪かった」と謝ってきました。

中学生で自分で使えるお金がなかった私はスライディングの練習をしたらジャージが物凄く破れたという嘘をついて母親にジャージ代をもらいました。

不幸中の幸いというか、この時はジャージで済んで良かったと思う。こういう訳の分からないテンションの中で、ヒートアップし不慮の事故や重大な怪我などということは大いにありえるので。

キンチョールの火炎放射器でジャージのお尻の部分を焼かれたのもお尻が丸見えという状態を面白がったからそうなっただけで、髪を全て焼いた方が面白いと思われたらそうなっていたと思います。そのくらい狂った空間でした。

 

 

電車で30分かけて遠征

人に言えないような悪事は働いていないが私も真面目ではなかったので中学2年生の時に友人と30分もかけて隣県の街まで変形制服を買いにいったことがあります。

たしかワタリ60、スソ18というサイズで裏地は紫にしたと思う。シルエットは正に下の画像のようなものでした。

 

今では謎でしかないが上着のボタンを裏側で止める留め具にチェーンと文字の入ったものまで買っていました。私は町すら制覇していないのに全国制覇と書かれたものを買ったと思います。

 

 

建て直し

中学2年生時の10か月くらいはプレハブ校舎でした。古い校舎を建て替えたのです。戦後から続く中学校だったので50年に1度あるかないかの建て替えに遭遇したことになります。今はどうなっているか分かりませんが体育館と武道場以外は新築となりました。エアコンも付いていましたが、やはりプレハブは普通の建物より空調がよくなく夏は暑くて冬は寒かったです。

私達の代の1個上と1個下と私達はこの数十年に1度の建て替えに当たってしまいました。不便ではありましたが、まぁプレハブ校舎も貴重な体験だったかもしれません。

 

 

攻めてきた

それは私達が中学2年生の時でした。私は部活をしていたのですが、体育館の窓をガンガンする音が普段は絶対に人がいない畑しかない方から聴こえてきました。最初は風か等と思い、気にしてなかったのだが余りに続くので開けました。

すると短ラン、ボンタンに茶髪や金髪といった出で立ちの集団が20名くらい居ました。近隣にある中学校の生徒が攻めてきたのです・・・。

中にはバットを持っている者もいて「出てこいやー」等と怒鳴っていた。

私達は「部活なんで」と無視をしたが、その後も色々と言っていたらしい。後日、先輩に聴いたところ先輩達と喧嘩をするために攻めてきたらしかった。事前にその情報をキャッチした先輩達はソッコーで家に帰っていたとのことだった。

 

 

私達の代

上記に記載の話は私達の代から風化していった。私達の代は挨拶はさせていましたが、その他のことは一切しませんでした。特にいい子ぶるとかではなく面倒だったのです。田舎で人数が少ない分、全員の顔と名前が一致していましたが、少なくとも私達の代では悪質なじめなどはなかったと記憶しています。

 

 

さいごに

中学校時代と言えばもう25年ほども前のこと。本当に月日が経つのは早いですね。学生をやり直すのは面倒なので戻りたくはないですが、もし流行りの異世界転生のノリで中学校時代に戻ったら英語を中心に勉強をして、誰もが知っている大学に入る道を目指すと思います。

私は学歴に左右されず職にありつけていますが、やはり日本はまだまだ学歴を重要視していますし、英語は時間がかかる科目、かつ若い時からコツコツやっていないと非常に苦労をするので・・・。

あとは今の記憶があればこそ思う「あの時のアレとかアレはいらなかった」を全て貯金に回して計画的に貯金をしていきたいと思ったり・・・。

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