歴史

2000年読まれ続ける『孫子兵法』は、至高の書。

世界中で最も長く、多くの人に読まれている書は聖書で、旧約聖書は紀元前6席頃から、新約聖書は1正規頃から読まれています。そしてご紹介する『孫子の兵法』書も紀元前5世紀頃から2500年もの間、読まれています。

孫子の兵法は紀元前5世紀に書かれた書物にも関わらず現在でも学びを与え、時代時代の覇者やリーダーが愛読してきました。

そんな『孫子の兵法』書をご紹介いたします。

 

 

概要

孫子の兵法書(そんしのへいほうしょ)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家「孫武」の作とされる兵法書。武経七書の一つで、古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つです。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されています。『孫子』以前は、『尉繚子』天官編、『李衛公問対』陰陽術数編などのように戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化しています。

 

孫子の兵法書の構成

孫子の兵法書は以下の13篇で構成されています。
①計篇 - 序論。戦争を決断する以前に考慮すべき事柄について述べる。
②作戦篇 - 戦争準備計画について述べる。
③謀攻篇 - 実際の戦闘に拠らずして、勝利を収める方法について述べる。
④形篇 - 攻撃と守備それぞれの態勢について述べる。
⑤勢篇 - 上述の態勢から生じる軍勢の勢いについて述べる。
⑥虚実篇 - 戦争においていかに主導性を発揮するかについて述べる。
⑦軍争篇 - 敵軍の機先を如何に制するかについて述べる。
⑧九変篇 - 戦局の変化に臨機応変に対応するための9つの手立てについて述べる。
⑨行軍篇 - 軍を進める上での注意事項について述べる。
⑩地形篇 - 地形によって戦術を変更することを説く。
⑪九地篇 - 9種類の地勢について説明し、それに応じた戦術を説く。
⑫火攻篇 - 火攻め戦術について述べる。
⑬用間篇 - 「間」とは間諜を指す。すなわちスパイ。敵情偵察の重要性を説く。

現存する「孫子兵法」は以上からなるが、底本によって順番やタイトルが異なります。上記の篇名とその順序は、1972年に中国山東省臨沂県銀雀山の前漢時代の墓から出土した竹簡に記されたもの(以下「竹簡孫子」)を元に、 竹簡で欠落しているものを『宋本十一家注孫子』によって補ったものです。『竹簡孫子』のほうが原型に近いと考えられており、「竹簡孫子」とそれ以外とでは、用間篇と火攻篇、虚実(実虚)篇と軍争篇が入れ替わっています。

特徴として非好戦的で、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)のように、戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める内容となっています。

 

孫子の兵法書の成立

「孫子の兵法」書の成立は、以下の5段階に分けられるとされおり、多くの研究者も同様に考えている。
①紀元前515年頃、孫武本人によって素朴な原形が著される。ただし、複数の文献に孫子十三篇という名が出ることから見て、この時点で既に十三篇だった可能性もある。金谷治は「当時の諸子百家の思想書の成立形態から言って、孫武が残したこの段階のものは口伝やメモの類であり、その後継者たちが次第に書物の形に整えたものであろう」と推定している。天野鎮雄は、現在の孫子十三篇の重複・説明部分を大幅に削除して推定復元した、十三篇からなる「原孫子」の存在を考えているが、天野の説は山本七平以外、全面的に賛成している研究者は非常に少ない。例えば守屋淳(2005)は「正鵠を得ているかどうか俄に判定できない」[要出典]としており、この時点の孫子の形は不明である。

②紀元前350年頃、子孫の孫臏により、現行の「孫子」に近い形に肉付けされる。そして戦国末期までに異本や解説篇が付加されていった。その一つがここで「竹簡孫子」と呼ぶものである。

③秦漢の時代も引き続き本論に改訂が加えられていき、多くの解説篇が作られた。「呉孫子兵法」82巻・図9巻に相当するか。天野(1972)は、孫子十三篇と別に解説書が六十九篇あり、それらを合算して八十二巻の孫子になっていたと考えている。

④紀元200年頃、曹操により整理され、本論13篇だけが受け継がれていくようになる。いわゆる魏武注孫子。(魏武は曹操の諡号「魏武帝」から。曹操の「魏武帝註孫子序」には、「解説の文章が多すぎて分かりにくくなっているので、要点のみにして注を行った」とあり、これが古来の「曹操孫子筆削(削除)説」の根拠になっていた。しかし、魏武注孫子と『竹簡孫子』とは編目・本文が共通箇所が多い。金谷(2000)は、この曹操の筆削の詳細は不明ながら、曹操は後世の付加と推測される巻のみを削ったのだろうと考えている。天野(1972)も大略は同じ。

⑤曹操以降、写し違いや解釈の相違により数種類の異本が生まれ、それらは若干の異同を持ったものとなる。しかし基本的には、第4段階のものと大きくは違わず現代に伝わる。現在手にすることができるものは、ほとんどがこの段階の「孫子」である。

(出典: Wikipedia)

 

孫子兵法の愛読者

孫子の兵法は各時代を代表する偉人たちに読み継がれてきました。そんな偉人たちを一部ご紹介します。

 

曹操 孟徳

曹操は、孫子の兵法を戦いだけでなく政治や人材育成にも活用していました。その力の入れようはかなりのもので、孫子の兵法を編集し直したのです。その孫子の兵法を「魏武注孫子」(ぎぶちゅうそんし)といい、現代に残る孫子の兵法は「魏武注孫子」によって残されたものです。

 

諸葛 孔明

蜀が魏討伐に向け進軍する戦いである北伐の戦いでも諸葛亮によって、孫子の兵法は活用されていました。諸葛亮が北伐をする際に上奏した出師の表も、孫子の兵法に基づいて行われたものです。出師の表により、蜀の皇帝劉禅や蜀の武将が、同じ気持ちで北伐に向かえる様に意思統一を図ったのです。また、厳罰や兵の休暇についても孫子の兵法の影響がありました。孫子の兵法には、「普段から、法令が公平適正に実施されていれば、民衆はよく服従する。」というものがあります。

諸葛亮は、これを厳格に守っていました。そのエピソードとして有名なのが、命令違反を犯した馬謖(ばしょく)を切り捨てたことです。馬謖といえば、諸葛亮が最も可愛がっていた部下であり、諸葛亮の後継者として育てていた人物です。
しかし、馬謖は戦いの最中に命令を無視して、蜀を敗戦に導いてしまいます。これに対し諸葛亮は、軍律か愛弟子のどちらかを選ばなくてはならなくなり、軍律のために馬謖を切り捨てました。

また、蜀の兵は交代で休暇をとる制度を採用していました。諸葛亮は、敵が迫っていることに関係なく、この取り決めをしっかりと守って、兵に休暇を取らせました。こエピソードとしては「空城の計」の逸話が残っています。

 

呂蒙 子明

「呉下の阿蒙」と呼ばれた呂蒙は、武勇のみの猛将でした。この呂蒙に対し、知略を身に着けるように勧めたのが、呉の君主である孫権です。呂蒙は孫権の助言に応えるために、必死に勉強をします。その時、勉強に使われたのが「孫子の兵法」です。その後の呂蒙は、魯粛と会談し「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし」とまで言わせました。

武勇と知略を備えた呂蒙は多くの戦績を挙げますが、魏に対抗するため蜀が統治していた荊州南部を奪還したのは大戦績となりました。この時、劉備の義弟である関羽を破り処刑したことで、張飛は配下に殺され、復讐に走った劉備は夷陵の戦いへと向かいます。魏との戦いに向けて蜀にダメージを与えたのは、知略のなせる技といえるでしょう。

 

武田 信玄

武田信玄の旗印に使われた「風林火山」は、孫子の兵法から取られた言葉です。厳密には、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」という一文を引用しています。武田信玄は、戦国時代において、孫子の兵法をよく活用していた人物で、特に篭城する敵を心理戦で誘い出し殲滅する戦いを得意としていました。

その戦法には、後の天下人である徳川家康も敗れていて、この時の恐ろしさを忘れないように、無事に帰還したときに自分の姿を絵に描かせたほどです。その後、徳川家康は武田信玄を研究し、天下統一を果たします。また、武田信玄は戦い以外にも孫子の兵法を取り入れており、股引の色を統一することによりスパイを判別し、敵に情報を知らせないために独自の言葉を使わせました。ちなみに、この独自の言葉は現在の甲州弁として受け継がれています。

 

徳川家康と江戸幕府

徳川家康は江戸時代初頭に伏見版と呼ばれる木活字の印刷本を発行させます、その一環として1606年には閑室元佶によって「孫子」が出版されました。これはそれまで写本しかなかった「孫子」の初めての印刷であり、江戸期を通じて覆刻され、孫子の普及に大きな役割を果たしました。徳川幕府が天下を治めるようになる時期と、兵学と呼ばれる学問が隆盛を迎える時期は合致し、「孫子」の普及に大きな役割を果たした。

 

ナポレオン・ボナパルト

フランス共和国皇帝であるナポレオン・ボナパルトは、孫子の兵法を愛読していました。ヨーロッパに孫子の兵法が入ったのは、意外と遅く16世紀末のことです。ナポレオンが読んだとされる孫子の兵法は、フランス語に翻訳されたもので、戦いだけでなく行軍中の補給にも活用していました。また、軍人としても優れていたナポレオンは、孫子の兵法を活用した戦法で負けなしの軍隊を築きます。

 

東郷 平八郎

日本海軍司令官の東郷平八郎もまた孫子の兵法を愛読していた人物の一人で、日露戦争に唯一持って行ったのが孫子の兵法です。東郷平八郎は日露戦争において、当時最強艦隊と言われたロシアのバルチック艦隊を破った人物で、この時、艦隊戦の戦法の一つである丁字戦法を採用した背景には孫子の兵法があり、戦局の主導権を握ったと言われています。結果は日本軍の圧勝に終わり、当時白人が優位にあった世界に有色人種が勝利するという衝撃を世界に与えました。その後、日本はアジアで唯一の列強国となりました。

 

アメリカ軍

ベトナム戦争で撤退を余儀なくされたアメリカ軍は、戦略を取り入れるために孫子の兵法に注目しました。特に、湾岸戦争ではアメリカ軍関係者に孫子の兵法を配布し、軍事学校では孫子の兵法を必読教材、必修科目に設定しました。その結果、湾岸戦争では正面攻撃と見せかけ別動隊による奇襲作戦により、地上戦を100時間で終了させます。

 

『孫子の兵法』7つの金言

孫子の兵法の中から7つの金言をご紹介します。

 

智将は務めて敵に食(は)む。

智将は出来るだけ敵の食糧を奪って食べるようにする。敵は必ずしも「倒す」だけでもなく「利用する」のが優れたリーダーです。「利用する」というと印象が悪いですが何も相手に損をさせるだけがすべてではありません。相手の利益にもなるような「win-win」の関係はある意味この教えの発展形と言えます。

 

拙速は巧遅に勝る

「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」という格言があります。拙速とは、つたなくても速いことであり、巧遅とはたくみでも遅いことです。つまり、完璧でなくとも「仕事が早い」にこしたことはないという意味です。完璧さを追求するあまり、いつも期限がぎりぎりになる人を見かけます。完璧さを心掛けること自体は、とても素晴らしい考え方です。

ただし、時間がかかりすぎて 機を逃しては元も子もありません。「完璧だ」と自分が思っていても、相手が同じように「完璧だ」と感じていただけるとは限らず、独りよがりになる危険性があるということです。そこまでの付加価値は求めていないとか、それだとコストがかかりすぎるとか、お客さまの求めているニーズとズレが生じることがあるからです。(本件は中国南宋の謝枋得の著作「文章軌範」が元となり広がった説)

凡そ用兵の法は、国を全うするを上となし、国を破るはこれに次ぐ。

戦争の原則としては、敵国を傷つけずにそのままで降伏させるのが上策で、敵国を打ち破って屈服させるのはそれに劣る。戦争は、自分も相手も失うものが大きいです。戦争に勝つよりも、戦わずして相手を屈服させる方が上策であると孫子は言います。

 

彼れを知りて己を知れば、百戦してあやうからず。

敵情を知って味方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がない。しかしいざ戦争をするとなれば絶対に勝たなければなりません。
・相手を知り、自分を知れば、百回戦っても負けることはない。
・自分のことはわかっていても、敵のことはわかっていない状態では勝負は5分5分
・敵はおろか自分の状況すらわかっていない状況では危険である
孫子の中で最も有名な金言の1つです。私はこの言葉が特に好きで、いつも肝に銘じるようにしています。

 

卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に倶に死すべし。

兵士たちを赤ん坊のように万事に気を付けていたわって見ていくと、それによって兵士たちと深い谷底にも行けるようになる。兵士たちをかわいいわが子のように見て深い愛情で接していくと、それによって兵士たちと生死をともに出来るようになる。組織が窮地に陥っても組織に残ってともに戦ってくれるかどうかは、日ごろから部下を大切にしているかどうかに懸かっています。

 

百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。

百金を与えることを惜しんで、敵情を知ろうとしないのは不仁の甚だしいものである。敵情を伺うスパイについて書かれています。いつの時代も情報は武器です。情報を得るために必要なお金を惜しむと、結果としてその何倍も何十倍も損してしまうことになります。主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。

君主は怒りにまかせて軍を興こすべきでなく、将軍も憤激にまかせて合戦をはじめるべきではない。組織のリーダーたるものは、個人的な感情でその意思決定をするべきではありません。それには多くの社員やメンバーたちが巻き込まれることになるからです。

 

風林火山陰雷(長いので本文は下記)

故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。
故に其の疾きこと風の如く、(其疾如風)
其の徐(しず)かなること林の如く、(其徐如林)
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、(侵掠如火)
動かざること山の如く、(不動如山)
知りがたきこと陰の如く、(難知如陰)※①
動くこと雷霆(らいてい)の如し、(動如雷霆)※②
郷を掠めて衆を分かち、
地を廓めて利を分かち、
権を懸けて動く。
先ず迂直の計を知る者は勝つ。
此れ軍争の法なり。
※①味方の戦略は暗闇の中のように敵に知られないようにし、
※②兵を動かすときは雷のように激しくなければならない」という意味があります。

行動の速いことは風のようであり、待機して静かなことは林のようであり、動かずにいるときは山のようであり、軍の態勢が分からないのは陰のようであり、突然に激しく動くのは雷鳴のようである。村で物資を奪う時は兵を分散させ、土地を奪って広げるときはその要点を分けて守り、権謀をめぐらせながら行動する。

 

多くの人に読まれている書

孫子の他にも長く読まれ、沢山読まれている本があります。その一部をご紹介します。

 

世界のベストセラートップ10

1位 聖書 50億~150億部(数千億部説あり)
2位 毛沢東語録 8億部
3位 ハリー・ポッターシリーズ 4億部
4位 ロード・オブ・ザ・リング 1億部
5位 アルケミスト -夢を旅した少年- 6,500万部
6位 ダ・ヴィンチ・コード 5,700万部
7位 トワイライト 4,300万部
8位 風と共に去りぬ 3,300万部
9位 頭を使って豊かになれ 3,000万部
10位 アンネの日記 2,700万部

 

日本国内のベストセラートップ3

1位 窓際のトットちゃん 580万部
2位 道をひらく 520万部
3位 ハリー・ポッターと賢者の石 510万部

なおベスト10の中にハリーポッターが3作も入っています。

 

おすすめの孫子の書籍

孫子の書籍は多く出ていますが、私が読んだ中でおすすめの3冊を記載します。

 

新訂 孫子

まずは基本の1冊ですね。何事もまずは基本を学ぶことが必要だと思います。

 

超訳 孫子の兵法 「最後に勝つ人」の絶対ルール

超訳の名の通り、現代で用いるにあたって分かり易く解説されています。私は文庫版、kindle版と2つ持って、たまに読み返しています。

 

実践版 孫子の兵法

説明と図がセットになっており、読みやすく分かり易い内容です。

 

 

まとめ

孫子の兵法の醍醐味は、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」に集約されていると思っています。

その他では。
・準備を怠らず不意を衝くことが大事
・何事も基本を大事にしながら攻めるときは柔軟に戦うことが大事
・動くべきではない時はジッと我慢し、動くべき時は一気に動くが大事
・仲間との信頼関係、日ごろからいかに他者を敬い大切にしているかが大事
という考え方を重要視していると思います。

作成者の孫武、子孫の孫臏、注釈改良した曹操と謎に包まれている部分もありますが、2500年もの長きにわたり読み継がれ、現代でもヒントになる内容があることには驚くしかありません。

 

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