日記

紫禁城と万里の長城に圧倒された高校時代と小中時代の修学旅行の話。

先生にまつわる話やアルバイトにまつわる話を記事にする中で、ふと修学旅行を思い出しました。メインとなる話は高校時代の修学旅行です。

思い出にふけりながら記事を書いてみることにしました。

 

 

小学校時代

小学校時代は6年生の時に長崎に行った。原爆資料館、平和公園、グラバー園、雲仙普賢岳の雲仙温泉(噴火前)などを回りました。

 

バスの中では歌を歌い、美味しいごはん、集合写真などを撮りつつ、夜は定番の枕投げをしてはしゃいだ記憶があります。お土産売り場ゾーンではゴム製のヌンチャクや長崎に無関係なキーホルダー等、のちのち絶対に要らなくなるお土産を買って帰りました・・・。

 

 

中学校時代

中学校時代は2年生の時に広島に行ったのだが私は行っていません。修学旅行の2週間前くらいだったと思いますが、文化祭の大きな看板を数人がかりで片づける際に誰かが手を放し私の膝を直撃したのです。

全治3週間となり修学旅行はスキーだったので行っても楽しくないだろうと思って行かなかったのでした。それとケガを不憫に思った両親が修学旅行に行かない場合は戻ってくる修学旅行の代金プラスαをお小遣いとしてくれると言うので、むしろ喜んで行かないことにしました。

 

 

高校時代

高校時代は2年生の時に中国に行きました。これが色々とありすぎた修学旅行でした。予め言っておきますと私は、歴史好きなので英雄を多く産んだ中国や中国人のことを尊敬しているし、素晴らしい国だと思っています。しかし私が修学旅行にいった23年ほど前は、まだ発展していない部分もあり色々と参ることがありました。そのあたりを合わせて書きたいと思います。

私が通っていた高校は中国の高校と友好関係を結んでいる創立100周年という歴史ある高校でした。高校の修学旅行といえば京都が定番で、その他は東京や北海道となると思います。私立でお金がある高校ならアメリカやオーストラリアという学校もあるようですね。今ならディズニーシーやUSJを回るという学校もあるかもしれません。

修学旅行の行き先が中国と聴いて女子などはガッカリしていました。そんな中で私は歴史が好きであり中華料理も好きなので中国最高じゃないか!!と思っていました。

そんな中、修学旅行出発の少し前に校内で同じ高校に通う地元の1個上の先輩とバッタリ会ったのです。

先輩は前年に同じ所へ修学旅行に行っており、私にこう言ってきた「たぶん、お前らは中国=日本の中華料理を想像していると思うけど全く違う。まじアドバイスするけどカップラーメンとか持って行っとけ。後悔するぞ。」と言うのでした。

私は「そうなんすね。了解っす」と言いながら「好き嫌いしてるだけじゃねぇか?俺は違う」等と思っていました。クラスメイトも同様に先輩から悲惨な思い出を聴いていましたが、同じように自分は大丈夫と思っていたようです。

その後は生まれて初めてパスポートを作り、大きなスーツケースを買い、連泊用にシャンプーやボディソープ等の日用品を買った。先輩にアドバイスされたごはんは持って行きませんでした。

修学旅行当日、チャイナエアラインの狭い座席とガタガタしまくる機体、翼にガムテープのようなテープが雑に貼られ、しかも一部が剥がれて上空で激しくなびいている様にビビりながらチャイナドレスの化粧が濃い美人CAさんに見惚れている内に2時間半ほどで北京につきました。

福岡→中国は本当に近いです。黄砂も飛んでくるわけだぁと思った記憶があります。時間は憶えていませんが、着いた時は外が暗かったので夜だったと思います。北京空港について、まず驚いたのはその古さでした。超大国である中国の首都の玄関にも関わらず福岡の田舎の無人駅よりもアナログで古かったのです。

空港からホテル、各観光場所の移動は大型バスでクラス毎の合計11台の移動でしたが、公安のパトカーが前後に張り付いて警護していました。警護ではなく監視だったのかもしれませんが・・・。
宿泊先のホテルは北京公演の際に安室奈美恵さんも泊まったという北京の5つ星ホテル、観光場所は故宮、北京動物園、北京の老舗百貨店、万里の長城などでした。他にもあったかもしれないが忘れてしまいました。ホテルは私たちの高校が特別というわけではなく当時、日本人が安心して泊まれる大きいホテルは限られていたからだった思います。

夕飯は5つ星ホテルの洋食バイキングで美味しかった。「何だよ。美味しいじゃねぇか」と言いながら先輩に騙されるところだったと思っていました。翌日の朝も同じく洋食のバイキングでした。

そして朝食後は休憩があり、その後は観光スポット巡りとなりました。

 

①紫禁城(故宮)

大型なクレーンなどがない時代、パソコンや機械がない時代によくこれほど壮大で美麗で精細な物を作ったなと感激が止まらなかったです。

とにかく雄大さと細かい装飾や細工に「すげー、すげー」が止まりませんでした。

日本の城もですが、昔の人は科学を知恵と努力と気合と時間でカバーしていたんですね。どこもかしこも素晴らしく圧倒されっぱなしでした。ラストエンペラーや少林寺などを思い出しながら感慨深く当時を想像していました。

 

②ごはん
故宮で壮大な歴史を感じたあとは、近くの歴史ある中華レストランで待望の中華料理の昼食でした。次々と各テーブルに届けられる料理。チャイナドレスのウェイトレスさん達は美人さんばかりで男子は沸きまくっていました。そしてイザいただきます!です。

私は少し食べてこう思った「あぁ先輩の言っていのはこういう事か。うん、まずい!食えないな!」そう、めちゃくちゃまずかったのです・・・。

味が薄く(というかない)ごはんが固まりまくった上に冷蔵庫で冷やしたかのように冷えたチャーハン、同じく冷蔵庫で冷やしたかのような麻婆豆腐には日本人は好まないであろうスパイスの数々。どれもまずかった。辛うじて食べれたのはチャーハンだった。息を止めて食べた記憶がある。ホテルのごはんが恋しかった。その後はとにかくホテルで食べまくって、パンをいくつか持ち帰って凌ぐという生活となりました。大勢が一気に食べるので予め作っておいて運ぶというのは当然理解しますが、そういうレベルではない冷えっぷりだったのです。しかも普通は温かい状態で食べる筈の料理が全て冷え冷えだったのです。

ちなみに翌年、私たちは私たちの先輩がそうしたように大事な後輩のために、後輩が修学旅行に行く時期に同じようにアドバイスをしました。

「分かるよ。中華を想像してるでしょ?うん、俺らもそうだった。んで先輩のアドバイスを無視して地獄をみた。悪いことは言わないからごはんを持っていけ。あと水も持っていけたら持っていけ」とアドバイスをした。

水は高かったのです。コーラなどのジュースは日本円で10円程と安かったのですが水は高かった。日本円で数百円、もしかしたら500円くらいしたかもしれない。そのくらい高かったです。

なお後輩も我々の世代と同様にアドバイスを無視して食料は持って行かなかったらしい。これは伝統なのかもしれない。

アドバイスを受ける→アドバイスを無視して後悔する→同じ思いをさせまいと後輩にアドバイスをする→後輩はアドバイスを無視する→後輩は同じ思いをさせまいと更に後輩にアドバイスするという無限ループ。

今も中国へ修学旅行で行っているかは分かりませんが、現在の北京は発展しているのでだいぶ違っていると思うし、料理も美味しいだろうと思っています。

 

③北京動物園

次は北京動物園だ。広大な中国らしく広すぎた。色々見て回りたかったのだが配布された地図を見る限り我々が回れたの入り口付近の周辺だけという広さでした。

そして何の動物を見ている時かは忘れましたが事件がありました。同じクラスの仲の良い友達が財布をすられたのです。毎年何人かはやられるらしい。思えば怪しい男がいた。私達は大半がリュックだったのだが動物を見ている私達にグイグイ体を押し付けてくる男がいたのだ。私にも来たが「何だよ?気持ちわりーなー」と睨み付けたらどこかにいった。人混みからはけたところで友達のリュックのチャックが開いていることが分かり中を確認したところやられていた。

人が多すぎるし地元ではないので泣き寝入るしかなかった。なおその際の担任は別記事に記載のY先生(お前らに住所教えない発言)であり全く助ける素振りはなかった。その友達にはクラスの何人かでカンパをして持ってきた金額に近い金額が集まった。

 

④月壇中学校?訪問
月壇中学校?としているのは記憶が定かでなくネットで調べたところ該当しそうな学校名が月壇中学校だったからである。中学校と言っても日本でいう高校生のような年齢の方も学んでいたと思う。ここは姉妹校ということで訪問した。故宮の近くにある大きな学校だ。ここではグループに分かれてディスカッションのようなものをしました。

私は今でも鮮明に覚えていることがある。それは中国すげー日本やべーである。私を含め日本人の学生達は騒いだり、馬鹿なことを言ったり、彼女いますか?彼氏いますか?等という外国の初対面の方とするべきではない会話をヘラヘラしながら言っていた。

ド馬鹿である。それに対して中国の学生さん達は私たちを迎えるにあたり、様々な準備をしてくださっており、質問や会話の内容も日本の文化を知ろうとするものや私たちの修学旅行が良い思い出なるようにと気遣いのある会話ばかりでした。しかも全て日本語での会話です。

私は勉強が嫌いで志もなくダラダラ、チャラチャラ学生時代を生きていたので余り難しく考えることはなかったが、その際は「中国はすごい。いずれ凄い成長をすして日本はおいていかれるんじゃないか」と高校生レベルであったが感じた記憶があります。そして自分と中国の学生さんの意識の違いを感じ取りとても恥ずかしくなった覚えがあります。

2020年現在、中国は凄まじい成長を遂げています。アリババやHuaweiの台頭も凄まじいですね。もちろん私が通っていた高校と違い、日本にも優秀な学生がいる高校は多々ありますが、様々な問題で日本に対しては色々と思う所がある筈の中国の学生さんが私達のことを気遣った質問や会話に終始していたことでとてつもない敗北感を感じた時間でした。

 

⑤値段が適当な売り子さん達
観光地の出入り口や道の脇で大勢の人が商売をしていた。日本で言うとお祭りの時の出店状態だ。といってもシートを敷いて商品を並べている簡易なものでした。

売っている物は虎の人形、青龍刀や三節坤、ヌンチャクなどの武器、民芸品などだ。飾り用として武器は欲しかったが法的に持って帰れないので諦めた。私はなぜか虎の人形を10元で買った。およそ130円くらいである。同じ人形を友人は200元、50元、30元などで買っていました。

よくよく聴いていると売り子さん達は同じ商品なのに「100元!100元!100元!」と言いながら商品を我々に向けて叫び、反応が悪いと同じ商品と同じ動きで「10元!10元!10元!」と言っているのでした。

原価はいくらなんだろう。

 

⑥公衆トイレ
どこかの観光サイトで今は減っており、北京なら奥の方に行かないと無いというような記載を見かけたが公衆トイレでは2つ驚いたことがある。

1つ目は有料だったことです。2つ目は個室のドアがないことでした。とんでもない話です。有料なのはまぁ分かります。トイレも清掃などでコストはかかるのだから当然と言えば当然です。日本が恵まれているだけの話です。

ただドアがないのはビビりました。公衆トイレの入り口で日本円で数円くらいを支払って友人と用を足していた時のこと。(小もつい立てや壁がないので丸見えである)後からバサァという音が聞こえた。新聞をめくる音でした。

人が居たのかと思い少し振り向いて顔を元の向きに戻したが違和感があった。「ん?」もう一度恐る恐る振り向いて見たらドアがないのです。ドアがない個室でおじさんが大である。これはビビりました。

その後は公衆トイレに行く度に居ないことを願いつつ入りました。運良くその後は一度もいなかったです。

 

⑦老舗百貨店
何日目かは忘れましたが、北京の老舗百貨店にも行きました。面積は広かったですが、店内は狭く古いため、どこをどう回ったか覚えていませんが、ココでは2つ思い出があります。

私が17歳当時、日本でゲームと言えばプレイステーションでしたが、中国の首都にある高級百貨店がガラスケースに入れて目玉として売っていたのは「ファミリーコンピューター」でした。ファミコンである。しかも日本円に換算すると10万円ほどで売られていたのには本当に驚きました。

もう一つは財布をすられた友人が皆のカンパで買ったGショックです。日本にもあるモデルが半額以下で買えたのですが、ライトがつかなかった。そして当時はそこまで調べてないが恐らくCasioではない商品だとったと思います。その友人は散々だった。

 

⑧万里の長城

最後に行ったのは万里の長城です。万里の長城は壮大にも程があった。両側を見渡しながら漢族と異民族の戦を想像したり、武帝、チンギス・ハーンを想像したりした。山に沿って建てられており起伏が激しいところもあるが精密でない分、余計に歴史を感じる建造物でした。

帰り道にお土産屋さんがある広場のようなところに寄ったのですが、そこに三国志の彫刻セットが売ってありました。碁盤のような立派な四角形の木に20個ほどの穴が開けられていて、専用のケースのようになっており、その中に1体ずつ三国志の有名武将の彫刻が入れてあったのです。めちゃくちゃ欲しかったのですが日本円で5万円ほどして当時は買えませんでした。

今ならソッコーで買うのにと、未だに時折思い出すほど心残りな出来事でした。

 

 

さいごに

ごはんは美味しくありませんでしたが、全体として私は楽しかったように記憶しています。今の記憶のまま当時に戻れば知識が増えている分、より楽しめるし、ごはんは持っていくし、彫刻を買うためにお金も持っていきます。

私は移動が大嫌いで旅行などもってのほかだが、成都にある武侯祠などいつかは行ってみたいと密かに思っています。

 

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