歴史

天下の大悪人か?目利きの達人か?『松永久秀』は、日本三大梟雄の一人。

『松永久秀』は戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将、大和国の戦国大名であり、日本三大梟雄の一人に数えられている。また茶人としても高名で教養も高かった。

日本三大梟雄とは「斎藤道三」、「宇喜多直家」、そして「松永久秀」である。

『松永久秀』は、そのエピソードの強烈さからドラマでも人気と実力を兼ね備えた上で「特徴がある役者」さんが演じられることが多い。

戦国時代を凝縮したかのような『松永久秀』について調べてみた。

 

 

略伝

松永 久秀(まつなが ひさひで、1508-10年?~1577年11月19日、享年:68もしくは70歳)は、別名を霜台、松永弾正(通称)といい、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将、大名である。生誕地は京都府との説が有力(諸説あり)、奈良県奈良市にて没した。官位は従四位下、弾正忠・山城守・弾正少弼で主君は三好長慶→義継→織田信長→足利義昭→織田信長と変わっている。

1508-10年頃:生誕
1533年頃:三好長慶に仕官する
1551年:相国寺の戦い
1560年1月20日:弾正少弼に転任。将軍の御供衆に列座
1561年2月4日:正五位下から従四位下に昇叙
1565年:永禄の変、足利義輝を暗殺
1567年:東大寺大仏殿の変、東大寺大仏殿を焼失させる
1568年8月:織田信長に臣従する
1571年:織田信長に反旗を翻す
1573年:織田信長に降伏する
1577年:信貴山城の戦い、再度織田信長に反旗を翻す
1577年11月19日:没

(出典 Wikipedia)

 

 

功績とエピソード

①三好時代
松永久秀の記録が残っているのは、三好家に仕えている時代からである。久秀は三好長慶のもとで三好家と将軍家の間で仲介役として、接待や交渉などの外交をはじめ、現代でいう秘書のような役割まで担っていたといわれている。

戦も含めて実績を積んだ久秀は、主君である長慶が将軍・足利義輝を京から追放する際にも公家や寺社との交渉役として貢献し、後に義輝軍が近江から京に進軍してきた際には、義輝との和睦を取りまとめたと伝わっている。この貢献によって、和睦後は義輝から将軍が殿中での宴席等の際に相伴する役割を担う相伴衆に任じられ、従四位下・弾正少弼の官位も授けられている。

②永禄の変
三好長慶の死によって権力を強めた足利義輝に対して、焦った三好三人衆が将軍御所の義輝を襲撃した永禄の変であるが、かつては松永久秀が主犯の一人とされていた。しかし、近年の見方では、実際には久秀の嫡男・久通が三好三人衆と一緒に襲撃に加わっていたものの、久秀自身はその場にいなかったとされている。

主君である長慶が死去すると義継を次期当主として担いだものの、同じく三好家での台頭していた三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、岩成友通)と久秀は主導権争いで対立。将軍・足利義輝を三人衆と久秀の嫡男・久通は1万の軍勢を率いて将軍・義輝のもとへ攻め込んで殺害する「永禄の変」を起こす。永禄の変の後に久秀は義輝の弟で後に足利義昭となる覚慶を興福寺一乗院に幽閉(後に細川藤孝に救出される)、久秀は三人衆が擁する足利義栄の対抗馬として覚慶を次期将軍擁立を目論んでいたとされている。

③東大寺大仏殿の変
将軍・義輝を殺害した三好三人衆と松永久秀は、異なる人物を次期将軍として擁立する思惑を抱えていた。久秀はと長慶の跡を継いだ三好義継とともに足利義昭を、三好三人衆側は足利義栄を擁立しようとしたことを機に対立構造が深まっていった。

三好三人衆は久秀が居城としていた多聞山城へ攻め込んだものの、久秀は攻めをしのぐ内に、義継の援軍も得ることができた。反撃を警戒した三好三人衆は東大寺付近に陣を構え、応戦の姿勢を見せていた。三好三人衆に立ち向かう久秀は、敵を討ち取るべく敵陣に火を放ったことにより、結果的に東大寺が消失してしまった。

④文化人としての側面
松永久秀は、当時屈指の商業都市である堺を支配していたことから、様々な茶道具を入手しやすい環境にあり、優れた審美眼をいかして、よい品を手元に多数揃えていたようである。

また、久秀は茶器を所持していただけでなく、当代随一の茶人である武野紹鴎に師事し、千利休とも兄弟弟子の関係であったとされている。久秀は信長が主催する茶会にも招待され、信長から感謝の言葉をかけられるなど一目置かれていた。信長に謀反を企てた際にも、銘品の茶道具を献上することで許されたという逸話も残っている。

⑤最期
謀反を起こせば即討伐という印象がある織田信長であるが、実は松永久秀が信長に対して行った謀反は一度だけではない。初回は武田信玄や朝倉義景、浅井長政、三好三人衆と結託して打倒・信長を目指した。しかし、信玄の死、義景や長政は信長に討伐され、三好三人衆も信長の攻めにより自害したことで三好本家は滅亡、と不利な状況に陥ったことで久秀は信長に降伏している。

改めて信長への臣従を許された久秀には当然ながら従来のような裁量が与えられることはなく、不満を持った久秀は再度信長への謀反を企てるに至ったと伝わっている。

二回目は上杉謙信や毛利輝元とともに打倒・信長を画策する。信長が本願寺顕如との戦いで苦戦を強いられている折に、松永久秀は二度目の謀反を決行した。織田軍を抜け出した久秀は、信貴山城に籠城した。

大軍で包囲する中で一度は使者を送り、名品・古天明平蜘蛛を渡すことを条件に降伏を受け入れるという通告をする信長であったが、久秀は拒否して天守閣に放火し平蜘蛛を破壊して自害したという。別の説によれば、平蜘蛛を叩き壊して火に飛び込んだ、平蜘蛛に火薬を詰めて爆死した、切腹後に首を平蜘蛛とともに家臣に爆破させたとも伝わっており、戦国史上の中でも有数の壮絶な最期として語られている。

自害に際しては「この平蜘蛛の釜と自分の首の2つはやわか信長に見させるものかわ(蜘蛛茶釜と自分の首を信長に見せさせてたまるものか)」という辞世の句を詠んで自害したと言う。

 

 

逸話、評価

①出自
松永久秀は最期が有名であることに比べて、出生については正確な資料が現存しておらず、前半生については謎が多い。一説には、同じく日本三大梟雄の一人である斎藤道三と同郷との説もあるものの、確たる証拠はない。

②人物像
戦国時代屈指の梟雄として語られ、主君である三好長慶の死後は、織田信長に仕えながら複数回の謀反を企てた人物であるが、信長は一定の評価を示していたようである。

信長が久秀を徳川家康に紹介した際には、「この老人は常人にできぬことを三つもやってのけた。一つは将軍(足利義輝)の暗殺、一つは(主家である)三好家の乗っ取り、そして東大寺の焼き討ちである」と言ったと伝わっている。現代では信長流の冗談も込めていたという説があるものの、謀略によって下剋上をなした戦国時代でも屈指の人物という評価であったようである。

③悪行は事実か?
松永久秀と言えば、裏切り、暗殺、謀略、下剋上等、戦国時代の中でも屈指の悪役として描かれることの多い人物であるが、実は後世に成立した『常山紀談』等をから成立したと言われている。

近年の見方としては、主君である三好長慶が存命中は、目立った謀反等は確認されていないという。また長慶の嫡男である義興や弟の十河一存を暗殺し、同じく長慶の弟である安宅冬康を殺させたことで、三好本家を崩壊へと導いたとされているものの、後世の創作の可能性が高く、信憑性は疑問視されている。

将軍の弑逆に関しても、実行したのは息子である久通と三好三人衆であり、久秀は参加していない。東大寺の焼き討ちに関しても、対立する三好三人衆の本陣が東大寺付近であったことで、戦いの中で延焼したために久秀が攻めたことから曲解されて伝わっているとの見方が強い。

このようにかつては戦国屈指の大悪党とされていた久秀ではあるが、実態はそこまで能動的に悪事に手を染めていた訳ではないようである。これには、江戸時代中期頃に久秀が悪役の印象が定着する動きがあったという。当時は、柳沢吉保等のさほど身分の高くない人物が有能さ等で幕府の重臣に取り立てられることが続いていた。

面白く思わない大名や身分の高い人物の働きかけにおって、幕府が重視していた学問である儒学の研究者である湯浅常山が中心となって「下克上で成り上がり悪事を働いた人物のエピソードを広めれば、従来通り家柄を重んじる秩序を取り戻せるのではなかろうか」と考えた結果、『常山紀談』という歴史書の中で久秀の悪事を誇張して記載したのだとか。これが今日の久秀悪人説が定着する原因の一つと伝わっている。

④子孫
松永久秀は茶人としても高名であり、堺や京の豪商や著名人を招いて多聞山城で何度か茶会を開催している。その縁か茶道の祖である千利休の養子である千少庵の実父は久秀であるというのは有力の説である。

また、戦国時代から江戸時代にかけて俳人・歌人として活躍した松永貞徳、海軍中将・松永貞市、海軍大尉・松永市郎なども子孫であるといわれている。

 

 

まとめ

戦国屈指の大悪党、日本版・乱世の梟雄と名高い松永久秀。壮絶な最期とは対照的に前半生には謎が多い。将軍・足利義輝の暗殺や東大寺大仏殿放火等のエピソードが有名であるが、茶人や築城としての才能も有する目利きの達人とも伝わっている。

織田信長から天下に名を轟かす三つの悪事を犯したと言われた松永久秀。
其の一:主家の三好家に対する暗殺と謀略
其のニ:室町幕府第13代将軍「足利義輝」暗殺
其の三:奈良東大寺大仏の焼き討ち
と戦国乱世ならではのエピソードだらけである。

実際に近くに居る人であれば、近づきたくはないが、歴史を書などで学ぶしかない現代人にしてみれば、ずっと良い子で平凡な人生より、波乱に満ちた『松永久秀』のような人生の方が惹き込まれてしまう。

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