歴史

食客を集め秦の野望をくじいた『信陵君』は、人を大切にした戦国の貴公子。

漫画『キングダム』にて李牧が連合軍を率いて秦に攻め入った際に、旗印として軍に加わったのが、戦国四君の一人であった楚の春申君(黄歇)である。その戦国四君の中で最も優れ、実際に連合軍を指揮し、秦を撃退したのが『信陵君』だ。

王族であるにも関わらず、驕ることなく人に接し、諫言を素直に受け入れ、態度を改める大きな度量で多くの人に慕われた『信陵君』をご紹介したい。

 

 

略伝

信陵君(しんりょうくん、、生年不詳~紀元前244年)は、本名を魏(ぎ)無忌(むき)という。中国戦国時代(前403~前221年)における魏の国の王族。食客(能力のある居候)三千人を集めて「戦国の四君」と呼ばれる。秦の国に襲われた趙の国を独自の判断で軍を動かす事で救った。彼はそのまま趙の国へ滞在し続けたが、魏王の要請に応じて故国へ戻り、五ヶ国の連合軍を率いて秦の軍隊を撃ち破った。しかし、秦の謀略によって主君との仲を裂かれ、酒色におぼれた末に、酒の毒によって死去した。

なお戦国四君とは、魏の「信陵君こと魏無忌」、楚の「春申君こと黄歇」、斉の「孟嘗君こと田文」、趙の「平原君こと趙勝」のことである。(~君とは死後に贈られた諡号)この4名はそれぞれが国の重要なポストを務め多くの食客を抱えていた。

 

 

功績とエピソード

①食客三千人を集めて名声を響かせる
信陵君は魏の王さまの腹違いの弟だ。それなら、尊大に振る舞ってしまいそうなものだが、彼は相手が偉かろうがそうで無かろうが、へりくだって謙虚につきあった。おかげで彼の許にはたくさんの食客が集まってきて、その数が三千人に達した。

食客は普段は養われているだけだが、いざとなれば主人のために大いに働く事が期待されていた。戦国時代には各地の有力者が食客を集めて力を蓄える事が多かったそうで、その中でも「戦国四公子」などと呼ばれる者たちは君主をしのぐ力を持っていたと言われる。魏の信陵君もその中の一人だ。

諸国の王さまたちは信陵君の力をはばかって魏の国へ戦を仕掛けたり手を出そうとしたりせず、その状態が十年あまり続いた。

②侯嬴(こうえい)との出会い
ある日、信陵君は、魏の首都である大梁に(たいりょう)て門番をしている侯嬴という男を知る。彼はすでに七十歳の貧乏な老人だ。信陵君は彼を呼びに行き、贈り物をしようとしたが、侯嬴は受け取らない。それでも信陵君はあきらめず、飲み会を開き、たくさんの客を集めた上で、侯嬴を上等な客として招くために、自ら侯嬴の許へ出掛けていった。

侯嬴は信陵君の誘いには応じたが、ひどく無礼な態度を取った。しかも、皆が待っているのに、途中で肉屋をやっている友人の家へ寄り道させろと言う。さらに、ダメ押しで、その友人と長話を始めた。それを見ていた町の人々は侯嬴の無礼に腹を立てていたようだが、信陵君は柔和な笑顔のまま侯嬴の用事が済むのを待っていた。

こうして、信陵君はようやく飲み会の席へ侯嬴を連れて帰ってきた。上座には侯嬴の席がちゃんと用意してある。侯嬴はなおも丁重に扱われ、さらに、信陵君から祝福の言葉を述べられるに至って、ようやく侯嬴も態度を和らげた。とは言え、侯嬴はわざと無礼な態度を取っていたのだ。

侯嬴が友人と長話をしている間、信陵君の態度を見た町人たちは、あんなに酷い態度を取られているのに、ぜんぜん気にしない信陵君はなんて立派な方だと思ったはずだ。つまり、侯嬴はあえて無礼な態度を取る事で、信陵君の名声が高まるように仕向けたのだ。

③恐れる王に代わって趙の国を救う
侯嬴と長話をしていた男の名を朱(しゅ)亥(がい)と言い、彼もまた賢者であると言う。信陵君は朱亥を何度も招いたが、朱亥は特にお礼を言わなかったので、さすがの信陵君も気分を損ねていた。

そんなある時、西のかた秦の国が趙の国の軍隊を大いに撃ち破り、さらに、趙の都を包囲した。趙の国は魏の国に救援を求めてきた。魏の王さまは十万の軍隊を趙へ差し向けたが、それを知った秦の王さまが魏の王さまを脅し付けてきた。つまり、趙の国を助けたら、次はお前たちの国を真っ先に滅ぼすぞ、と言うのだ。魏の王さまはすっかり恐れてしまったようで、趙を助けるための軍隊を途中で止めてしまった。

信陵君は魏の王さまに対して趙の国を助けるよう必死に働きかけるが、王さまは耳を貸さない。かくなる上は我々だけでも趙の国へ出向いて討ち死にしようと思い、出掛ける際に侯嬴に挨拶をした。しかし、侯嬴はしっかりおやりなさいとは言ったが、特に信陵君を助けるような事をしてくれなかった。信陵君はいったん彼と別れたが、彼の態度があまりにも薄情なのを疑問に思い、侯嬴の所へ戻った所、侯嬴はようやく人払いをして信陵君を助ける策を伝えてきた。

「貴方さまは以前に魏の王さまの姫ぎみの仇討ちを代わりにしてあげたことがございましたな。ならば、お姫さまは貴方のお願いする事ならば何でも受け入れるはずです。さて、今、
王さまが日和見させている軍隊がございますが、それを動かすためには王さまの割符が必要でございます。割符は王さまの寝室にございますれば、お姫さまならば、それを取ってくるのは簡単なことでございますね?」

こうして、信陵君はまんまと軍を動かすための割符を手に入れた。そして、改めて、出発に際して侯嬴と面会したが、その時の侯嬴はもう信陵君を試すような事はしなかった。

「『将、外に在れば、君命も受けざる所あり』と申します。もし貴方さまが割符を持って軍の指揮権を渡せとおっしゃっても、軍の司令官は言う事を聞かぬかもしれませぬ。その時のためにも、我が友である朱亥をお連れください。彼は力がとても強いですから、もし、軍の司令官が言う事を聞かぬ際には、彼に司令官を殺させればよろしい」

朱亥が信陵君に対してつねづね無礼だったのは、それがちっぽけな礼儀に過ぎず意味が無いと考えていたからであり、この苦難に当たっては、信陵君のために我が命を捧げましょう、と、請け負ってくれた。

果たして、信陵君と面会した司令官は、信陵君がたった車一台でやってきたのを怪しんで、軍の指揮権を渡さない様子を見せたので、やむなく、朱亥が重い鉄槌を使って司令官を殺した。

その頃、侯嬴は、自分は老いぼれであり、信陵君と共に戦えないことを申し訳なく思い、代わりに、信陵君が軍隊のいる場所へ到着する日に合わせて、自ら首をはねて、信陵君の戦いに命をささげた。

かくして、信陵君は兵権を奪い、そのまま趙の都の救援に向かった。そのため、秦の軍隊は包囲を解いて後退し、趙の国は救われた。このように、侯嬴も朱亥も信陵君からの手厚い待遇に全力で応えた。そのおかげで、信陵君は大義を全うする事が出来たし、秦の侵攻を防ぐ事も出来た訳だ。

④魏の国へ舞い戻り連合軍の司令官に
信陵君は秦の軍隊を追い払った後、趙の国へ留まった。何せ、魏の王さまから割符を盗み、勝手に軍隊を動かしたばかりか、軍の司令官を殺しているのだ。魏の王さまは怒り心頭だろうから、到底、自分の国へ帰る事はできない。

こうして、信陵君は趙の国にて暮らし始めたのだが、その間に、信陵君は新しい付き合いを始めた。相手は毛公と薛公(せつこう)の二人だ。毛公はばくち打ちであり、薛公は汁物屋だ。彼らは王族と釣り合う身分では無かった。それでも信陵君は徒歩で彼らに会いに行き、深く付き合った。

さて、信陵君は十年もの間、趙の国へ滞在していたが、その間、秦の国は信陵君をはばかって趙の国を避け、代わりに魏の国ばかりを攻撃していた。魏の王さまはそれに悩み、信陵君を自分の国へ呼び寄せようとした。しかし、信陵君はまだ魏の王さまが自分を恨んでいると考えて応じようとしない。

そこへ毛公と薛公がやってきて信陵君に言った。「貴方さまが、趙の国から大切に扱われており、その名が天下へ鳴り響いているのは、魏の国があればこそです。それなのに、貴方さまが何もしないせいで、魏の国が秦の国によって滅ぼされ、祖先をお祀(まつ)りしている場所を荒らされたとしたら、貴方さまはどの面下げて天下の人々に顔向けするのですか」

信陵君はその言葉によって自分の間違いを悟った。彼は急いで魏の国へ帰った。魏の王さまは面会すると涙を流し、彼を司令官に任命した。信陵君が司令官になった事で、秦と敵対している国のほとんどが援軍を送ってきた。かくして、信陵君は五ヶ国の連合軍を率いて秦の軍隊を撃ち破り、さらに、秦の将軍である蒙驁(もうごう)を敗走させ、さらに、秦の軍隊を西のかた函谷関(かんこくかん)へ追い込んだ。こうして、秦の軍隊は函谷関から出てこようとしなくなった。

この戦いによって、信陵君の威名は天下に轟いた。

⑤離間の計により失意のうちに亡くなる
信陵君によって散々に抑え込まれた秦の国も、このまま黙って引き下がるほど初心(うぶ)では無い。秦の国は以前にも趙の国へ偽の情報を流して有能な将軍を首にするよう仕向け、代わりに無能な者を将軍に取り立てるよう仕向けた事があった。こうして、すっかり愚かになった趙の軍隊を大いに撃ち破ったのだ。その手を、今度は魏の国の信陵君に対して使い始めた。

かつて、信陵君は趙の国を救うために割符を盗んで魏の国の軍隊を奪った事があったが、軍隊を奪う際に将軍を殺している。その将軍の食客だった者を莫大な金を使って探し出し、その者に信陵君の悪口を魏の王さまに対してひたすら吹き込ませ、信陵君が王さまの座を狙っているかのように思い込ませようとした。さらに、秦の国の方でも魏の国に対して「信陵君はすでに新しい王になられたのでしょうか。だとすれば、まことにめでたい」みたいな話を持ち込んだから、ついに、魏の王さまは信陵君の事を疑うようになり将軍の職を解いてしまった。

信陵君は悪口によって解任された事を知ると、すっかりふさぎ込んでしまったようで、酒と女におぼれるようになり、やがて、酒の毒にやられて死んでしまった。あの、情にあつく、良くへりくだって相手の心をつかみ、大義のために命を賭け、軍を率いては連勝し、祖国のみならず、周囲の国にまで平和をもたらした信陵君が、こんな、みじめな死に方をして良いものだろうか。

秦の国は信陵君が死んだと知るや兵を発し、蒙驁(もうごう)を将軍として魏の城を次々に陥として支配した。それから十八年後、秦の国は魏の国の首都である大梁を陥とし、その住民全てを屠殺(とさつ)、つまり、家畜のように殺した。

 

 

逸話、伝説、評価

①動かずして趙王の動静を知る
信陵君が魏の国から抜け出す前、魏の王さまとすごろく遊びをしていた事があったのだが、その時、趙の国が攻めてきた事を知らせる狼煙(のろし)が上がった。魏の王さまは遊びを止めて大臣たちと協議しようとしたが、信陵君は「あれは趙の国の王さまが狩りをしているだけです」と述べて平然と遊び続け、実際、その通りだった。なぜ、それが分かったのかと言うと、信陵君の食客の中に趙の王さまの秘密を知る者がいて、趙の王さまが何かをすれば、その者がすぐに信陵君に伝えてくれるからだった。いかに信陵君が人のつながりによって力を得ていたか分かる話だ。しかし、魏の王さまはそんな信陵君の力を不安に思い、彼をかえって政治から遠ざけてしまった。

②信陵君、殺人を予見して涙を流す
信陵君は趙の国を救うために自分の国の軍隊を動かす権利を晋(しん)鄙(ぴ)と言う将軍から奪う必要があった。晋鄙が言う事を聞かねば殺さねばならない。その事を聞いて信陵君は涙を流した。それを見た話し相手の侯嬴は「命が惜しいのですか。なぜ泣くのです」と問い掛けたが、信陵君は「いや。晋鄙は有名な古くからの将軍。私が出向いても言う事を聞くまい。だから、殺す事になるのは目に見えている。だから、泣くのだ。死を恐れての事では無い」と述べた。

③自軍の兵士たちに対する温かい心遣い
信陵君は晋鄙将軍から兵権を奪って軍隊を指揮したが、兵士たちには温情を掛けた。「父と子供が共に軍隊へ参加している場合には父は国へ帰って良い。兄弟で軍隊へ参加している場合には兄は国へ帰って良い。一人っ子で他に兄弟がおらぬ者は国へ帰って孝行せよ」

④功績を鼻に掛けそうになるも食客のおかげで態度を改める
信陵君に対して趙の国を救ったお礼として五つの城を贈る話が持ち上がった。信陵君はその功績を自慢するようだった。それを見た食客の一人が彼に忠告した。
「忘れてはならぬ事と忘れるべき事がございます。貴方さまに恩を与えた方の事を忘れてはなりませぬ。そして、貴方さまが恩を与えた方の事はどうかお忘れください。貴方さまが魏の軍隊をうばい趙の国を救った事は、趙の国からすれば功績ですが、魏の国からすれば忠義とは言えません。それを思い上がって功績とするのは、貴方さまのためにはならぬと思います」

この言葉を聞いた信陵君は態度を改め、常に謙虚に振る舞い、自分の功績を否定した。そのおかげか、彼はそれから十年もの間、趙の国にて安泰に暮らし、やがて、魏の王さまと和解して帰国する事ができた。

⑤身分に惑わされず人を敬う度量
信陵君が趙の国へ留まって、ばくち打ちの毛公や汁物屋の薛公と付き合っていた頃、同じ趙の国へ住む平原君と言う貴公子は、信陵君は毛公や薛公という身分の卑しい者らと付き合っているのだから無茶な男だと苦言を述べた。

しかし、それを伝え聞いた信陵君は平原君に絶交の言葉を返した。「私は魏の都にいた時から毛公や薛公の才能を知っていたし、趙の国へ来ても会えない事を恐れていた程だった、出向いても会ってもらえないのではないかと気にしていた。それを恥だとおっしゃるのであれば、あなたこそ付き合うに値しない。これ以上、お付き合いはできない」

その言葉を聞いた平原君は冠を脱いで謝った。その事を知った平原君の食客のうち半数ほどは信陵君に付き、天下の士たちもこぞって信陵君に付くようになったから、その勢いは平原君をしのいだ。

 

 

まとめ

信陵君は非常に高貴な身分でありながら、身分の上下に囚われず、真に付き合うべき賢者との交際を謙虚に求め続け、仁義によって行動し、それによって絶大な信望を得た。

その力が中国大陸の国際情勢すら動かし、秦の国による圧力を跳ね返すほどになった。しかし、結局、秦の謀略によって王との絆を断たれ、不幸な最期を遂げてしまった。信陵君ほどの優れた人物であれば、もっとその高潔さに相応しい結末があったのではないだろうかと思ってしまう。

後に秦の国を滅ぼして天下を統一した漢の高祖劉邦は、大梁を通過するたびに信陵君のためにお祭りを行い、また、五つの家を選んで、その家に信陵君の塚を守らせ、毎年の季節毎に信陵君のお祭りをするよう命じたと言う。

 

-歴史

Copyright© たいらblog , 2021 All Rights Reserved.